これでこのコラムも最終回。好きなことを書かせていただいて、ありがとうございました。
2025年から地元米沢の九里学園高校を、校長先生の計らいで自由に撮らせてもらっている。8月には文化祭で僕の写真も生徒さんに混じって展示してもらえた。なんだか僕が高校生の頃を思い出す。あの時もこうやって壁に写真を貼ってみんなに見てもらったな。思えばそれが初めての写真展だった。
僕は15歳のときから、半世紀ずっと写真のことを考えてきた。溢れるような写真の才能があるかと言えば、多分ない。その代わりと言ってはなんだけど、写真を楽しむ才能はある。撮るのも、見るのも、見せるのも、いまだに面白くてしょうがない。
20代の頃は、他人の才能が羨ましくて、妬ましくて、横を向けば、才能の塊のような人ばかり。自分には強みなんて微塵もないと思っていた。なんとかしようとして空回りばかりで、人に迷惑をかけて、布団をかぶって家から出られないこともあった。
それでも、一日たりとも写真のことを忘れたことはない。この世界で生きていくしかなかったというのが正しいかもしれない。




そんな自分を受け入れてくれた優しい人たちに恵まれた。「まあ、一度やってみなよ」と言って、キャリアもない僕に仕事をふってくれた。だから、3万円の仕事に5万円かけて、5万円の仕事には10万円かけて、なんとか期待に応えようとした。結果、借金はとんでもないことになり、首が回らない状態に陥った。最悪だ。「金がないのは首がないのと同じ」その意味を痛感した。
仕事で撮影したフィルムの現像代が払えず、サラ金に行ってお金を引き出したこともある。完全に詰んでいた。そんなときに結婚した。
知り合ったきっかけは、撮影の仕事で失敗して(写っていなかったのだ)編集長に謝りに行った。そのときにお茶を出してくれたのが、後に妻になる編集者だった彼女。だから、出会いは最低最悪、お金もなければ信用もない、ないないづくし。
順風満帆どころか嵐の連続みたいな人生、でもその度にまるでシナリオがあったみたいに救世主が突如現れる。こうして振り返ると、僕は本当に運がいい。高校生のときに写真に出会えたこと、それは何よりも幸運だったと思う。




そう思っていた時に、RICOH GR IVのWEBサイトにある森山大道さんの作品ページにこう記してあった。
「最近、心底思うのは、ああ、おれにカメラがあって良かった
写真というものがあって本当に良かったということ」
僕も写真に出会えて本当によかった。



渡部さとる
1961年山形県米沢市生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ、報道写真を経験。同社退職後、スタジオモノクロームを設立。フリーランスとして、ポートレートを中心に活動。2003年よりワークショップを開催。
最近ではすっかりYoutube「2B Channel」の人として認識されている。おかげさまでその功績が認められて第33回「写真の会賞」特別賞を受賞しました。現在慶應義塾大学大学院非常勤講師でもあり、近著には『撮る力見る力』(ホビージャパン)がある。
Satoru Watanabe@watanabesatoru2b