私が生まれ育った街に、およそ30年ほど前広大な土地と予算を使って建設されるも、バブル崩壊の影響で完成間近に工事が打ち切りとなり、以来そのままの姿で残っているホテルがある。
現在はフィルムコミッションが管理しており、ミュージック・ビデオや映画などのロケ地として使われている。私もこれまでに何度か、撮影で使わせていただいた。敷地内にはゴルフ場や乗馬クラブがあって、それらは現在も稼働している。


ホテルはちょうど私が生まれた年に建設中止となったので、幼い頃からなんとなく話を聞くことはあったが、実際に建物をみたことはなかった。私が初めて足を運んだのは、3年前の夏のこと。
地元に帰省するタイミングに合わせて、管理者にコンタクトを取り、ロケハンさせてもらえることになった。私は父親の車を借りて、ひとり現地へ向かった。
施設の正門を入ると道の両側にゴルフ場が広がり、そのあまりの広大さに驚いた。ホテルは敷地の一番奥に位置し、正門からホテルまでは、歩いたら30分はかかるだろう。担当の方と合流し、さまざまな説明を聞きながら、アトリウム、廊下、客室、プール、レストランと順に案内してもらう。私はGRのストラップを手首に通してぶらぶらさせ、目に入ったものをひたすら撮って回った。


塗りかけの壁や剥がされなかったマスキングテープ、縦軸のみ貼られたタイル、ビニールに包まれたままのソファ、サイドテーブルだけが置かれた客室、当時の日付が書かれた業務用の冷蔵庫、そしてコンテナに入ったままのパイプオルガンなど、どこに目をやっても、職人さんが「続きはまた明日」と作業を止めた形跡が残っている。


これまでも閉業した老舗ホテルやいわゆる廃墟には伺ったことがあったが、ここはそれらとは空気感がまるで違う。それは”ひとに使われないまま長い年月が経過した”ことが大きな理由だろう。
古着でいうデッドストックと似ているかもしれない。綺麗なのに30年分の埃や建具の劣化がみられ、また前の撮影利用者の痕跡が残されているからか、妙にひとの気配も残っている。なんとも形容し難い特別な空気に、私はメロメロになった。
ホテルが予定通り開業していたら、この街も那須とか箱根のようになっていただろうか。地元のなんだか全体的に上手くいってない感じも、また少し違っていたかもしれない。もちろんその惜しい感じも含めてこの街のことが好きだが、このホテルを起点に、さまざまなことを夢想してしまう。私はこれからもこの場所に通って、たくさんの写真を撮り、いずれ何かの形にまとめたいと考えている。


木村和平
1993年、福島県いわき市生まれ。東京在住。
ファッションや映画、広告の分野で活動しながら、幼少期の体験と現在の生活を行き来するように制作を続けている。
第19回写真1_WALLで審査員奨励賞(姫野希美選)、IMA next #6「Black&White」でグランプリを受賞。主な個展に、2023年「石と桃」(Roll)、2020年「あたらしい窓」(BOOK AND SONS)、主な写真集に、『袖幕』『灯台』(共にaptp)、『あたらしい窓』(赤々舎)など。
Kazuhei Kimura (@kazuheikimura)