【コラム】釣りをするように/安達ロベルト

2022.04.28 BLOG

まだ周囲から何も期待されず、自分自身にも何も期待していなかった小学生の頃の話。

釣りが好きだった。一時期は大会に出るほど熱中した。

近所のクリーニング屋の主人が釣り好きで、いろいろ教えてくれた。小学校を卒業するとき、彼が自作した「ヘラ浮き」をお祝いにくれた。

ヘラ浮きはヘラブナというフナの一種に特化した浮きだ。ヘラブナは他の魚に比べ食べ方が「上品」なので、その繊細な動きを視覚化するために発達した道具がヘラ浮きだ。

釣りの魅力のひとつはイマジネーションだ。

釣り人は「魚の気持ちと行動」を想像する。どの季節の、どの時間帯に、どの辺りの、どれくらいの深さにいて、どんな餌を欲し、どのように食べるのか。それらを想像し、準備し、待つ。ヘラブナの場合、餌を口に含んでいるだけのか、本気で食べようとしているのか、微妙な浮きの動きから想像する。それを近所の先生に教わった。

そして、釣り人のイマジネーションと魚の行動が一致したときにアタリがある。まだ姿が見えない魚が全力で逃げようとするときに竿を通して全身で感じる重みは、積み上げたイマジネーションの重みと等価で、重ければ重いほど、興奮と充実感を覚える。

もうひとつの魅力は、その瞑想的な時間だ。

水の音、風の音、鳥や声を聞きながら、草花の匂い、水の匂いを嗅ぎ、湿気を帯びた風、日の光を感じながら、浮きを眺めつづける。基本的にはボーッとしてるが、浮きという1点にゆるやかに集中している。そのシンプルな豊かさ。

写真を撮る行為はシューティングと言われるが、上記の経験をしてきた身にはフィッシングに近い。能動的に狩りに出て、見つけた獲物を撃ち抜くのではなく、理想の光景が見られる場面を想像し、準備し、受動的にアタリを待つ。釣れても釣れなくてもいい。その行為そのものが、プロセスであると同時に目的なのだ。

けっきょく中学校に行ったら学校が忙しくなって釣りには一切行かなくなった。さらには年齢が上がるにつれ、周囲も、自分が自分自身にたいしても、ある種の生産性を期待するようになり、釣りのような「非生産的」なものを次第に避けるようになった。そのヘラ浮きを使う機会は一度もなかった。

だが、かつて釣りを通して体験したことが人格形成に深く影響していることが、近年になってよくわかってきた。ヘラ浮きがどこにいったか覚えていない。だが、精神の大切なものの象徴として心の奥にずっとありつづけたことを、これを書きながら発見した。

釣り竿の代わりにカメラを持ち、川の代わりにストリートに出て、静かにフィッシングする。そんな非生産的だが豊かな時間を大切にしたい。

(GR III Street Editionで撮影)


安達ロベルト(Robert Adachi)
人がどのようにつながり、創造するかに常に関心を持ち、十代で外国語、プログラム言語、絵画を学び、大学で国際法と国際問題を学び、22歳で作曲を始め、32歳のとき独学で写真を始める。GR DIGITAL III、GXR、GRのカタログ写真・公式サンプル写真を担当。「GRコンセプトムービー」の背景に流れるオリジナル音楽を作曲。ファインアートの分野で国内外で受賞多数。主な出版に写真集「Clarity and Precipitation」(arD)がある。
www.robertadachi.com

 


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